中古車査定相場の面白さ

自動車ジャーナリズム冬の時代というべきか、クルマ雑誌の休刊があいついでいる。
雑誌の部数が頭打ちになり、広告が減っている。
とにもかくにも媒体が減ってしまえば、クルマ評論を古く場もないわけで、とくに若手のライターには厳しい状況が続いている。
時代の流れといえばそうなのだろうが、だからといってクルマ評論がこのまま先細りになっていいわけはない。
思うに、いまの自動車ジャーナリズムに元気がない背景には、日本車がつまらなくなってきていることがある。
60年代、70年代、日本車はあらゆる点でヨーロッパ車より劣っていたが、それでもニューカーが登場するたびにワクワクさせられたものだった。
意あって力足らずでも、スタイルのバランスがおかしくても、そこにはかならず新しい提案があり、時代の先を行こうとする人間の意志が見られたからだ。
しかし、いまのニューカーはどれをとってもタイクツだ。
どれもそこそこよく出来ているオール4の優等生。
とんがった個性が見られず、新鮮さ皆無なのである。
クルマをつまらない優等生にしてしまったのはいったいどこの誰なのだろう。
コスト計算一点張りのメーカーか、その時々の「トレンド」なるものに釣られてきたユーザーか。
いや、それだけではあるまい。
少なくとも自らを深めてこなかった自動車ジャーナリズムの側にも、その責任の一端がなか
ったとはけっして言えまいて。
昨今のニューカー試釆記、インプレッション記事は、私にいわせればぜんぜん面白くない。タイヤをキューキューいわせ、箱根の山道を猛スピードで飛ばすことに終始している。
このことからして間違っている。
クルマはゆっくり走っても楽しいものだし、動かさずにじっと眺めているだけでもうれしくなるものなのだ。
たとえば1930年代のフランスでは、ドラージュやドライエなどが本当に美しい超高級車を作っていた。
いまやフランスには超高級車メーカーはまったくなく、マニアの記憶の中に生きているのみだが、しかし現代のフランス車の中にもその影をチラッと感じるときがある。
そういうクルマを私は好きになり、そのことを話したり書きたくなる。
しかし、歴史を知らない人は、そこに何も感じない。
本来、クルマの面白さ、楽しさは多岐にわたっている。
こいつに目を向けてほしい。
もっとクルマの背景にある文化、歴史、人間の生活に思いを馳せるべきだ。
そういう視点を掘り下げてこそクルマ評論は深まってくるのであり、それがまた日本車の進化に寄与するはずだ。
そいつは自動車ジャーナリズムの媒体が、紙からコンピュータやネットに移っても同じであろう。
そして、自動車査定もインターネットに依存するようになるだろう。
実際、車買取一括査定サイトが人気を博している。
このように中古車の価格などがネットを経由して公の情報になることにより、より開かれた自動車業界が作られるとすれば、それはとてもよいことと言えるかもしれない。

 

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